吉原今昔物語 吉原の歴史を知ろう

  • 【酉の市】
    11月の酉の日に開催される酉の市。年により2回の時と3回の時があり、三の酉まである年は 「火事が多い、吉原に異変がおこる」と言われている。由来は諸説あるが、11月も押し詰まるころから 多発する火事に対して、火の用心への心構えをあらたにさせることと、また、おとりさまへの参詣と大 手を振って出かけ、帰りに隣接する新吉原に沈没してしまう男衆へのけん制であったといわれている。  祭り当日、吉原は通常は開けない大門以外の門も開放して、昼見世から開き、遊廓にとっても特別 な日だった。この日ばかりは吉原の遊女達も酉の市参りを許されたとされていた。しかし、それは 人手で盛況になる酉の市での客引きだと考えられている。
    今年は11/3(日)・11/15(金)・11/27(水)に開催される。
  • 【花魁道中】
    現在4月の第二土曜日に開催される『一葉桜祭り』にて行われる”江戸吉原花魁道中”。 元々は位の高い遊女(花魁)が馴染み客を迎えに郭内の茶屋の行き帰りや特定の日に美しく着飾って、 禿や新造を伴って遊郭の中を練り歩いたことから生まれたものである。吉原での花魁道中が最後に 行われたのは1950年(昭和25年)4月9日である。現代のおいらん道中は浅草小松橋通りを当時を 再現した独特の外八文字の歩き方で練り歩く。
  • 【ほおずき市】
    7月9、10の両日、東京都台東区の浅草寺で行われるホオズキの市。赤く実りかけたホオズキの鉢植 えが境内に並べられ、参拝客に販売される。元々は、薬草として東京都港区にある愛宕(あたご)神社 の千日参りの縁日で売られていた。 ホオズキを煎(せん)じてのむと、子どものかんの虫や女性の癪(しゃく)によく効くと言われており、 これを参拝土産に持ち帰るのが通例だった。やがてこれが浅草寺に波及し、愛宕神社をしのぐ活況を 呈するようになったのがいまのほおずき市なのである。浅草寺のほか、都内各地の寺社で開かれて いるが、浅草寺の市が最も有名。毎年200もの露店が境内に軒を連ね、威勢のよいかけ声とともに ホオズキの鉢が売られる。ちょうど梅雨が終わりに近づく時期であり、鉢に付けられた風鈴が涼しげに 鳴ることから、江戸の夏の風物詩と言われている。
  • 【入谷朝顔市】
    入谷朝顔まつり(朝顔市)は毎年7月の6・7・8日の3日間開催される。この朝顔まつりは、入谷鬼子 母神(真源寺)を中心として言問通りに120軒の朝顔業者と100軒の露店(縁日)が並び、鶯谷駅近く の言問通りを封鎖して行われる大々的なお祭りで、毎年40万人の人出で賑わう。 平成25年の開催で66年目となる長く続くお祭りなのである。浅草ほおずき市と並び、下町の夏の 風物詩として親しまれている。
  • 【三社祭】
    浅草神社で行われる例大祭で、毎年5月第3週の金・土・日に行われている。正式名称は 「浅草神社例大祭」。三社祭の“三社”とは、3つの神社という意味ではなく浅草神社の旧名である 「三社権現」からきている。『江戸三大祭り』の一つに数えられており、最終日に行われる本社神輿 渡御は壮大で、各町会が40分程の持ち時間に1年の全精力を注ぎ込む姿は熱気にあふれている。 みこしの掛け声は「そいや」。